谷山浩子さんのFLYINGに出てくる「電子顕微鏡」を実際に使ってみた

谷山浩子さんのFLYINGという曲にさらっと出てくる、「電子顕微鏡」という言葉は僕のような理系人間にインパクトがあった。
なんか科学史とか人類の英知とか、現代社会とかを一言で代表する言葉に聞こえた。
でもアルバム「空とぶ日曜日」を聞いていたころは、自分が将来その電子顕微鏡と実際お付き合いすることになるとは思っていなかった。
最初に使わせてもらったのはJ社の比較的低倍率の走査型電子顕微鏡(SEM)だった。
電子顕微鏡というとかっこよく聞こえるが、実は単純な構造である。
真空中で電子線を試料に走査させて、跳ね返ってきた電子の量を画像化しているだけで、原理的にはテレビのブラウン管と同じようなものである。
しかし実際やってみると、電子銃がじつによくトラブる。
高温に加熱されているフィラメントが変形したり、周囲の電極が電子線で焼けたりして電子ビームの形がくずれると、すぐに像がぼやけてくるのである。
いい像を撮るにはいかに高真空を保つかがポイントだ。
試料をSEMに入れる前によく真空引きして溶媒を飛ばしておく必要がある。
ところが、若いころってゆっくり待つことが苦手だった。
本当は1時間待たなければいけないのに、30分でSEMにいれてしまって、像がぼけまくったりした。
今ならあと30分くらい待てば良かったと思えるのだが。
SEMの倍率は最低でも500倍。いいSEMだと最高10万倍までいける。
倍率が高すぎるので、自分が試料のどこを見ているのかわからなくなるということもよくある。
奇妙な組織構造が見えたと思って報告したが、実はあとで試料台の裏側を見ていたことがわかったことがある。
恥ずかしいからだまっていたが。
SEMでシャープな画像を撮るのは、結構スキルが必要である。
フォーカス以外にスティグマ調整というのがあって、X方向とY方向の電場を調整して電子線の形を真円にしなければいい像が撮れない。
しかも最適なXとYのバランスがフォーカスによってずれるので、スティグマのXとY、フォーカスの3つのダイヤルを最適な位置にもっていかなければならない。
最初はなかなかスティグマが合わせられなくて、きれいな写真を撮っている先輩に「どうしたら上手くスティグマを合わせられるのですか?」と聞いたところ、
「慣れるしかない。俺も先輩からそう習ったものだ」と、まったく何の助けにもならないアドバイスをいただいた。
しかし慣れてくると、確かにフォーカスとスティグマがきちんと合わせられるようになり、シャープな画像を撮れるので仕事が楽しくなってきた。
僕が気づいたのは、写真を撮るときにコントラストを低めに設定したほうがきれいな写真が撮れるということだ。
コントラストを上げると白黒はっきりして見やすくはなるのだが、素材の微妙なディテールが失われてしまうのだ。
写真に残すのがまた至難の業だった。
当時はCCDカメラもないので、もっぱらポラロイドフィルムに撮った。
しかしSEMには自動露出機能がなかったので、ブラウン管の画面の明るさを頼りに経験と勘で走査時間を定めてフィルムに撮った。
1分30秒待ってポラロイドをめくってみると。。。真っ黒。明るくしたら今度は真っ白。というようなことがしばしばである。
撮り直ししようと思ったらもう試料表面が電子焼けしていてぼやけていたり、像が流れていて、また位置決めとフォーカスとスティグマのやり直しになる。
部屋の電気を消さないと画面の明るさが正確にわからない。
そういえばH社のSEMには部屋の電気を消すスイッチが付いていたな。親切なのか?
画面の明るさと最適な走査時間がわかってくると、だいたい写真の明るさを合わせられるようになった。
ところが、自分が知らないあいだに誰がが勝手に画面の明るさの設定を変えていることがあって弱った。
ポラロイドフィルムも最初のころは、撮影してから自分で薄ピンク色のぬるぬるした定着液を塗らなければならない仕様だった。
撮った写真にこの定着液を塗らないとだんだんセピア色になってきて、おしゃれな感じになるのだが、しかし1年も経つと真っ白になってしまう。
そのぬるぬるの定着液はつーんと酸っぱいにおいがして、自分の手や服、SEMの調整卓や回りの机にどんどんベタベタとくっついていった。
一日中SEM室にいると、自分もすえた感じのにおいになるのである。
そして固まると白いガビガビになるのである。
そのうちポラロイドフィルムが改良されて、自分で塗らなくてもフィルムをカメラからギュッーーとひっぱると中の袋が破れて自動的に塗られる仕様に変わった。
しかしその装置も、3ヶ月もするとたいがいは液をのばすための金属ローラーの軸にガビガビがついてスムースに回らなくなり、写真の端の方は像が写っていないことが多かった。
「やがて時がながれて」
最近のSEMには当然のようにCCDカメラも高性能なパソコンも画像処理ソフトも付属しているので、昔のように経験と勘に頼らなくても自動的にいい写真が撮れる。
画像はJPEGにしてネットワーク経由でレポートに貼れる。
ポラロイドフィルムもうない。
SEM室で酸っぱいにおいしない。
しかし技術屋としては、なにか物足りない気がしてしまうのである。
ついつい手を出したくなり、「スティグマはこうやって合わせるんだよ」なんて言いながら無理やりいじり始めると。。。
あ。どんどんぼやけていく。
今のSEMはオートフォーカスとオートスティグマ機能がものすごく進歩しているので、僕なんかがいじるとかえってずれてしまうのである。
かっこ悪。
わがままなのはわかっているが、何でも自動化されていくと「腕の見せ所」ていうのが減ってきてさびしい気がする。