谷山浩子さんの「お昼寝宮 お散歩宮」を26年ぶりに読み返しました(前編)

僕はときどき、夜、月の光たよりに浅い川を低い方へどんどん降りていく夢を見る。
何年かに1回の頻度ではあるが、繰り返し同じ夢を何度もみるのである。
夢の中ではその川は歩きやすいように段々畑のようになっていて、低いほうから高いほうへ、あふれ出るように流れている。
その流れとは逆に、源泉に向かって歩いて降りていくのである。
恐怖心はない。
むしろ、その源泉に到達したときに何がわかるのか、好奇心でいっぱいになりながら、しかし実はいつまでも到達しないという夢である。
僕は谷山浩子さんの「お昼寝宮・お散歩宮」というCDと、昔サンリオから出版された同名小説が自分の心に深く刻まれているのではないかと思っている。
先日またまたついでがあり、実家の段ボール箱に大事しまってあった「お昼寝宮 お散歩宮」の本を引っ張り出して26年ぶりに読み返した。
まず気がつくのは、CDと曲のタイトルは「お昼寝宮・お散歩宮」と、間に・があるが、本のタイトルは「お昼寝宮 お散歩宮」とスペースになっていて・がない。
「・」がないことで、本の方は文学作品らしいタイトルになっている。
「お昼寝宮・お散歩宮」のCDは大好きで今まで数え切れないほどの回数聞いてきているが、実は疑問に思っていたことがいくつかあって、この際もう一度本で確認してみたくなったのである。
①第2の夢は骨の駅、第5の夢はそっくり人形展覧会だが、第1、第3、第4の夢はどんな夢だったのか?
②猫のみた夢は、物語のなかではどんな意味があったのか?
③川の源、川の一番低いところに一体何があったのか、また最後はどうやってお昼寝宮に戻ってきたのか?
④そっくり人形展覧会の会場で主人公のネムコは無数の同じ顔の人たちのなかから、何を決め手に「この人です!」と断定したのか?
特に4番の質問は重要なことに思える。
というのは「まちがえたその人が 死ぬまできみのもの」と歌われているとおり、
そっくり人形展覧会はおそらく結婚の寓意であり、どうやって不特定多数の群集から一人を選び出せるのかが課題である。
一人を選べた根拠はすなわち、浩子さんの人間に対する価値観を表すものであるはずだからだ。
まず、第1の夢は「恐怖のパソコン少年」だった。自作のゲームの中でキャラクター化したネムコを殺し続けるのである。
第3の夢は「圧縮密林のネムコばあさん」密林にはタマゴ豆腐味のイチゴ、豚肉の角煮味のミカン、ポテトチップス味のスイカなどがなっている。
第4の夢は「巨大お嬢さん」白い悲絹(ヒケン)のワンピースを着た巨大な少女。
猫のみた夢は、実は窮地を救ってくれたのである。
そっくり人形展覧会で選んだその人がただの人形だったとわかった後、悪魔のようなトトポがお昼寝宮をごくりと飲み込み、ここがお前の夢の底だと言い残して消えてしまう。
ネムコは眠れなくなり、どこにも逃げられなくなる。
もうだめかと思われたとの時、ここはネムコの夢の底でもあたしの夢の底ではないと猫が言い出し、一同、猫の夢の中に逃げ出すことができるのである。
猫は普段何もしてくれないように見えるが、実は本当に困ったときは頼りになる存在なのだ。
(つづく)