谷山浩子さんの「宇宙の子供」について書いてみた

2003年に発売された谷山浩子さんのアルバム「宇宙の子供」について書こう。
このアルバムは、浩子さんが自分の心の中を普段より少し深く掘り下げていった試みであると思う。
なにしろ「よその子」で始まり、最後が「神様」という、ちょっと軽々しく論じられない力作がならんでいるのである。
しかも浩子さん自身が自分のテーマ曲のようだと語った楽しい名曲「意味なしアリス」から、「ここにいるよ」、「あそびにいこうよ!」のような心温まる励ましソングまで網羅された、とても守備範囲の広い意欲作となっている。
まず一通り聞いてみて強く感じられる印象は真面目さ、真剣さである。
おそらくこの真剣さは仏教的なものへのまなざしを示唆する「沙羅双樹」、また人知の及ばない超越的な存在に思いをめぐらせた「花野」や「神様」に強く表れている。
「花野」と「神様」はNHK FMシアターで放送された川上弘美原作「神様」の挿入曲、テーマ曲であったという。
残念ながらその番組を聞かなかったのだが少しでも中身を知りたいと思い川上弘美の「神様」(中公文庫 2001年)を読んだ。
「くまにさそわれて散歩にでる。」という唐突な書き出しで始まるこの短編集は、ありふれた日常と非現実あるいは超自然現象が気持ちよく入り混じる面白い物語であった。
なかで「花野」は、野原を歩いていると5年前に交通事故で亡くなった叔父さんがときどき現れては消えるという、オカルトめいたものだ。
「神というのは、いないこともないのかもしれない」と思い至ったのち、叔父さんは現れなくなる。
くまの話も、実はくまの神様と人間の神様に思いをめぐらせる部分が重要な意味をもっている。
さてFMシアターの原作を読んで改めて谷山浩子さんの曲「神様」を聞いてみると、これは浩子流川上弘美論といった安易なインタープリテーションではなく、ユニークな谷山浩子的「神様」論であることに気づく。
例えば般若心経を思い起こさせる「重さや温度 色や匂い」といった歌詞に、科学と超自然に深く思いをめぐらせた谷山浩子独特の世界観を感じるのである。
歌詞の中で最後の一行「たとえばそれは神様」に救いを感じる。
仮に「それが神様だ」と断定してしまうと、とたんに何か、仏教やキリスト教といった特定の組織宗教に近づいてしまうからだ。
この「たとえば」によって我々はお仕着せの宗教論からはなれ、宇宙や地球の歴史、生命の起源、また人間がこの地球に発生し数十万年を経て文明を築くことができたその意味について自由に思いをめぐらせることができるようになるのである。
ただしこれは繊細なバランス感覚が要求される危うい試みではある。
なぜならば仏典や聖書がみんなの心の中に共通の記憶として待ち構えているために、ほんの一歩それてしまえば既存の宗教論に圧倒されてしまう危険性をはらんでいるからである。
ところがCDブックレットの中にある浩子さんの写真は神々しく釈尊のようであり、「来たければこっちの世界に来てもいいのよ。」と誘っているようにも見える。
まったく翻弄されるがこの複雑さが楽しい。
谷山浩子さんは本当に頭が良い人だと思う。