谷山浩子のオールナイトニッポンていうか

いまRaditalでやっているオールナイトニッポンモバイルではなく、1982年から1986年に放送していた「谷山浩子のオールナイトニッポン」について書く。
谷山浩子さんのファンは年齢層が非常に広いので、オールナイトニッポンを知らない世代の人も多い。
若い世代の人たちに昔の話をすると嫌がられるかもしれない。
自分も中学生や高校生のころ、少し前の音楽とかに妙な憧れをいだくとともに、リアルタイムで経験できなかったことで、少し上の世代にジェラシーのようなものを感じていた。
しかし、僕が谷山浩子さんの音楽を知ったきっかけはオールナイトだったし、毎週浩子さんの声にとても癒されていたので、やはり書きたい。
毎週木曜日。時間帯は深夜というか、明けがたの午前3時から5時。
当時のラジオでの浩子さんはアニメ声優のような声で、歌う時の声とはまったく違っていた。
というより、ラジオの浩子さんは、歌手の浩子さんとまったく別人格だった。
後になってご本人が「あれは完全にキャラを作っていたから」とおっしゃっている。
しかし無理やりキャラを作っていたような不自然な感じではまったくなかったな。
森谷ディレクターがよく「どうせ誰も聞いてないんだから」と言っていた。
もちろんそんなことはなく、はがきもたくさん来ていたし、かなりの人間がその時間帯に聞いていたのだと思う。
第一部(午前1時から3時の時間帯)のビートたけしに比べれば少なかったとは思うが。
僕はたけしには興味がなく、3時にラジオのスイッチを入れていた。
谷山浩子のオールナイトニッポンを聞いていることで、なにかある種のグループ、クラブのようなものに所属しているような感覚を覚えていた。
こんな時間に、こんな放送を聞いている人間はたくさんはいない。
したがって毎週この放送を聞いているリスナーたちは仲間だ、というような感覚があった。
今でも、まことに勝手な思い込みかも知れないが、谷山浩子ファンはみんないい人なんじゃないかと思う。
谷山浩子のオールナイトニッポンは、ありえんような放送だった。
びっくりしたのは六本木で忘年会をやっている音をそのまま流していて、途中でなにも話すことがなくなり、森谷さんが「それじゃあ曲行きましょう」といってクラシック音楽を15分くらい流し続けたことがあった。
オールナイターズライブと称して、素人が楽器の練習をする様子を2時間流し続けたり。
しかしそれを聞くのが楽しかったな。
なんでだろう。
「深夜とはいえ、ラジオでこんな事して大丈夫なんだろうか?」というスリルが面白かったのだと思う。
実際森谷さんが上の人に怒られたと言っていたことがあった。
今ではその森谷和郎氏はニッポン放送の取締役編成局長だそうだ。
浩子さんに、あんなにめちゃくちゃな放送をやらせておいて、上からも怒られたのにずいぶん出世したものだ。
当時僕は大学受験生でストレスがあった。
ちゃんと大学に合格して、卒業していい会社に就職しなけりゃならないというプレッシャーがあった。
そこで、浩子さんの深夜放送が教えてくれたことは、「意外にいい加減でもいいんだ」ということだった。
浩子さんも森谷さんも、当時の高校生からみたらものすごく大人だった。
その大人の人たちが、公共の電波を使ってこれほどまでにテキトーなことをしても許されてしまうんだという意外性が、僕たちに奇妙な安心感を与えてくれていたのである。
自分のやりたいことをればいいんだという確信を得られた気がする。
今では僕も会社員25年やっていい大人になってる。
このブログを高校生とか大学生が読むかどうかわからないが、もしたまたま読んでいる人がいたなら、そして将来のことで悩んでいる人がいたなら、声を大にしていいたい。
大人って結構適当でOKだから。