谷山浩子と科学についての考察
今回は谷山浩子と科学についての雑感を書く。
浩子さんの「空飛ぶ日曜日」のなかにFLYINGという曲があるが、その中に「電子顕微鏡」という言葉がさりげなく配置されている。
いかにも理科好き人間の好奇心を掻き立てる単語である。
だいたい、歌の歌詞に電子顕微鏡を持ち出してリズム、メロディーともにぴたりと決めてみせるなど、谷山浩子をおいて他の作曲家にはできない芸当だと思う。
当時浩子さんはラジオや著作のなかで眼鏡をかけた天才科学者少年が大好きと語っていた。
実は僕もそれを聞いて、身の程知らずにも、よし科学者になろうと思った一人です。
考えてみれば谷山浩子ファンのなかには今、大学や独法、企業の開発部などで科学者をやっている人たちが少なからずいる気がする。
浩子さんの曲には、科学的知識に裏づけされた空想、いわゆるSFに通じるものがある。
例えば「海の時間」は、きみとぼくのラブソングのようにはじまりつつ、思いは太古の海洋生物から進化論、生命の起源にまで遡る壮大さである。
また浩子さんの想像力には限界がない。
「お昼寝宮・お散歩宮」には「石に恋したかすかな記憶」という言葉が出てくるが、「きれいな石の恋人」に至ってはついに恋人が石でできている。
恋愛というものを考えるうちに生命の起源まで思いいたることはあるが、さらに遡ると最終的には無機物にまで行き着くのかも知れない。
人体を構成する炭素、水素、酸素、その他はすべて地球の天然鉱物に含まれているものと同じ、地球の一部だからだ。
「電波塔の少年」では自分が電波になって夜の空を走る。
「見える限りの家やビルの窓」にいる「数えきれないきみ」に言葉と歌を届ける。
秒速30万キロメートルで走る電磁波と空間伝播いうものにたいするなんという的確な理解。
「パラソル天動説」という曲もあったな。
「パラソル天動説」では詳しい説明が省略されているので、逆にどのような新しい宇宙論なのか自由に想像をめぐらせてみる楽しさがある。
座標系の原点を自分にとれば、天動説も地動説も関係なくなるという、相対性理論の拡張なのか?
科学者にとって大事なことは、実は数式の導出などではなく、研究対象がどうなっているのか、背後に隠されたメカニズムを想像する力だと思う。
人類が積み上げてきた原理原則は間違いではないが、自分の境界条件を間違えるとまったく的外れな積分解に行き着いてしまうからだ。
しかし、これらを理屈っぽくせず、さらりと美しい歌声にのせて、誰もが楽しめる気持ちよい音楽に昇華させてしまう力がすばらしい。
浩子さんの小説最新作の「Amazonで変なもの売ってる」のなかに「最も身近な宇宙は、たとえば、自宅です」という台詞がでてくる。
自分の場所で僕たちは宇宙や時間の流れについて自由に考えることができるのだ。
無限に広がる知的好奇心と日常的な生活空間を宇宙の謎や生命の起源につなげる想像力、そして物事に対する深い洞察力が谷山浩子ワールドの魅力のひとつだと思う。