谷山浩子さんの「お昼寝宮 お散歩宮」を26年ぶりに読み返しました(後編)

「お昼寝宮・お散歩宮」のCDは浩子さんと小さな子供たちの声で始まる、かわいいアルバムである。
浩子さんの声は、歌も語りも美しく楽しい。
どの曲も良く、何度でも繰り返し聞いていたいアルバムである。
物語は谷山浩子さんの同名小説をもとにしたものである。
主人公のネムコは「いなくなってしまった人」をお昼寝の中に探しにいく。
夢の中で別の夢に入り、さらにまた次の夢の中へ。
低いほうから高いほうへと流れる川の中には、バインダー、スプーン、たこ焼きのケースなどあらゆる見たことのあるもの、ないものが流れてくる。
その川を低い方へ低い方へと遡り源泉を訪ねていく旅は、心の奥の中心に何があるのか、自分自身の原点を見直す旅のようでもある。
川の一番低いところには何があったのか?
1988年発行の小説を改めて読み直してみた。
水が下から上に上っていく滝つぼが究極の源泉かと思われたところ、しかし傍らの地面の先はさらにはるか下を見下ろす崖になっており、
滝は見渡す限りはるか下のほうへ、下のほうへと続いていたのである。
そして一番底は湖になっており、青い髪のポトトが住むドーナツ型の島があった。
ドーナツの真ん中のガラスを通して下を見るとネムコの家があるが、このバリアを通り抜けることはできない。
一方、そっくり人形展覧会で「この人だ」と選んだサカモト君は顔のない人形になってしまったが、しっかりとネムコの手を握って離さない。
ネムコはたとえこれが本物のサカモトくんでなくとも、「わたしが選んだのがわたしのサカモトくん」だと言う。
そっくり人形展覧会の会場で、無数にいる同じ顔の人たちのなかからたった一人を選び出した決め手はなんだったのか?
「ほんものは ひとつだけ チャンスはたった 一度だけ」
みんなが本物はぼくだ、ぼくだと主張するなかでその男の子だけは、くぼみのなかに隠れるように佇み、ムスッとした顔のまま、
「くだらねえよ、こんなの。」
その一言を聞いたネムコはこの人でまちがいないと直感したのである。
滝の一番下のドーナツ島でネムコは、それが誰であれわたしが選んだのが私のサカモトくんだというが、実はそっくり人形展覧会ですでに確信を得ていたと言える。
その後ネムコがサカモトくんの気持ちを考えながら顔を描いていくと、ついには人形が本物のサカモトくんになる。
相手の気持ちを思いやることができるようになることによって、始めて人形が本物のサカモトくんになるというストーリーに谷山浩子さんの優しさと、そして恋愛観を垣間見たような気がするのである。